今回は、76歳で天国に旅立たれた梓みちよさんの
若い頃の画像と動画まとめ
宝塚時代などの若い頃の経歴
などなど…梓みちよさんの若い頃について書きました。
その他の梓みちよさんについての記事は
こちらの記事にまとめました。
目次
梓みちよの若い頃のかわいい画像まとめ
梓みちよさんの若い頃の画像ですが





以上が、梓みちよさんの若い頃の画像になります。
梓みちよの若い頃の動画は?

梓みちよさんの若い頃の動画ですが
二人でお酒を
メランコリー
ナラタージュ
以上が、梓みちよさんの若い頃の動画になりますね。
梓みちよの宝塚など若い頃の経歴は?

梓みちよさんの若い頃の経歴ですが
幼少期から習ってたバレエ教室の先生は元タカラジェンヌだった
中学生で宝塚て月組トップスター内重(うちのえ)のぼるを好きになり、自分自身も男役になりたい!と思うようになる
1960年、福岡女学院高校1年が終わった時に母親に内緒で受験を受け一発合格し宝塚音楽学校に入学
16歳で、宝塚のすみれ寮にとびこむ
宝塚では
学校で声楽やバレエ、日本舞踊をみっちり学ぶ上、遅くまでタップダンスなど個人レッスン通い。「門限を過ぎると寮長さんがそっと裏口から入れてくれたの」。80人近い48期でトップの成績だった。
息抜きの場所は寮近くのお好み焼き屋「むつみ」。みつ豆に氷がのり、ミルクがかかった「三階」と呼ばれるかき氷が名物で、同期生と通いつめた。
と言った感じだったみたいですね。
宝塚音楽学校在学中、渡辺プロダクションのオーディションに合格し、契約する
その後、宝塚音楽学校1年半で中退
1962年、「ボッサ・ノバでキッス」でデビュー
1963年7月、「こんにちは赤ちゃん」が大ヒットする
1963年12月、第5回日本レコード大賞の大賞を受賞、『第14回NHK紅白歌合戦』に初出場
1964年5月、東京都文京区の椿山荘で開催された学習院初等科同窓会に招待され、昭和天皇の御前で「こんにちは赤ちゃん」を披露
※「こんにちは赤ちゃん」は、明治時代以降で日本芸能界初の天覧歌謡曲
1969年まで、NHK紅白歌合戦に7年連続出場する
1974年、「二人でお酒を」が大ヒット
この曲は、第5回日本歌謡大賞・放送音楽賞、1974年の第16回日本レコード大賞・大衆賞を受賞する
1974年.『第25回NHK紅白歌合戦』に5年ぶり8回目の出場をする
1971年7月〜1978年2月、『新婚さんいらっしゃい!』の2代目アシスタントに就任する
以上が、梓みちよさんの若い頃の経歴になりますね。