今回は、73歳で天国に旅立たれたジョンプラインさんの
出身地などのwiki風プロフィールや
デビュー曲で代表曲「John Prine」などの経歴
などなど…ジョンプラインさんについて書きました。
目次
ジョンプラインのwiki風プロフィールは?

ジョンプラインさんのwiki風プロフィールですが
- 生年月日:1946年10月10日生まれ
- 出身地:イリノイ州のメイウッド(シカゴの西にある町)
14歳でギターを始める
シカゴにあるオールド・タウン・スクール・オブ・フォーク・ミュージックに通ってた
ベトナム戦争時代、陸軍に入りドイツで軍務に服する
戦争から戻ってからは、シカゴで郵便配達の仕事をする
1960年代後半、シカゴのフォーク・クラブで歌い始める
シカゴのフォーク・シーンの中でその存在を知られるようになっていく
以上が、ジョンプラインさんのwiki風プロフィールになりますね。
ジョンプラインの代表曲などの経歴まとめ

ジョンプラインさんの代表曲などの経歴ですが
1971年、デビュー・アルバム『John Prine』がアメリカのメジャーレーベルのアトランティックレコードから発売される
デビューアルバムは、ジョンプラインさんがアメリカのメディアにて「ネクスト・ディラン」と呼ばれたり日本ではワーナーパイオニアから発売され数々のメディアで取り上げられるなど…世界で絶賛され1970年代前半に最も注目されるシンガー・ソングライターの1人になる
メディアだけでなく、ミュージシャン仲間からも注目されて、ジョンプラインさんの曲をカバーする歌手が続々現れる
ちなみに、ボブ・ディランさんも
ジョン・プラインが初めてニューヨークで演奏した時、ディランは何の予告もなくステージに飛び入りして、彼のバックでハーモニカを吹いたし、後に「ジョン・プラインはわたしがとても気に入っているソングライターの一人で、彼のように曲を書ける人はほかには誰もいない。プルーストの実存主義そのもののような曲を書く」とも語っている。
と…ジョンプラインさんの事をかなり賞賛されていました。
その後、アトランティック・レーベルにて
- 1972年『Diamond In The Rough』
- 1973年『Sweet Revenge』
- 1975年『Common Sense』
を発売する
その後、アトランティックと同じワーナー傘下のアサイラム・レコードに移籍し
- 1978年『Bruised Orange』
- 1979年『Pink Cadillac』
- 1980年『Storm Windows』
を発売する。
1980年代中頃、自分のレコード・レーベルのOh Boy Recordsを立ち上げる
その後、自身のレベールからは1984年の『Aimless Love』~2018年『The Tree of Forgiveness』まで15枚のアルバムを出す
※『The Tree of Forgiveness』は、2005年の『Fair & Squre』以来オリジナルの新曲を集めたスタジオ録音作としては13年ぶりのアルバムだった
2020年、グラミー賞で生涯功労賞に選出
ちなみに、ジョンプラインさんは若い頃から年老いた人たちの気持ちや寂しさ、悲しみなどを訴える歌を書かれてたみたいですね。
最後に、ジョンプラインさんの動画ですが
以上が、ジョンプラインさんの代表曲などの経歴になりますね。