今回は、全日本テコンドー協会の新会長に就任した木村興治さんの
wiki風プロフィールや
出身高校・大学はどこなのか?
早稲田大学入学後~現在までの経歴
などなど…卓球の木村興治さんとは一体どのような人なのか?に迫って行きます。
目次
木村興治(卓球)のwiki風プロフィールは?

卓球・木村興治さんのwiki風プロフィールですが
- 名前:木村興治(きむらこうじ)
- 生年月日:1940年12月11日生まれ
- 出身地:秋田県秋田市
以上が、木村興治さんのwiki風プロフィールになりますね。
木村興治(卓球)の出身高校・大学はどこ?
卓球・木村興治さんの出身高校と大学ですが
秋田高校→早稲田大学法学部(偏差値67.5)
秋田高校は、偏差値71で秋田県1位の学力と言うかなり頭がいい高校ですね~
木村興治さんは文武両道な学生時代を過ごしてた事が分かりますね。
木村興治(卓球)の選手としての経歴は?
卓球・木村興治さんの選手としての経歴ですが
1959年、早稲田大学に入学する
1961年~1967年、世界卓球選手権に連続4回出場する
1961年、1964年、全日本選手権の男子シングルスで優勝
1961年、世界卓球選手権北京大会では男子ダブルスで優勝
1962年、全日本選手権の混合ダブルスで優勝
1963年、1965年、混合ダブルスにて世界一に
1964年、アジア卓球選手権の男子団体・シングル・ダブルスで優勝
1961年、1963年、1965年、毎日スポーツ賞を受賞する
以上が、木村興治さんの経歴になりますね。
木村興治(卓球)の指導者としての経歴は?

卓球・木村興治さんの指導者としての経歴ですが
1967年、世界選手権男子監督兼選手を務めて団体優勝に導く
1967年、朝日スポーツ大賞を受賞する
1981年、アジアアフリカ・ラテンアメリカの東京でのコーチセミナーの企画・指導
1983、1985年、中東地区(バーレーン・シリア)でのコーチセミナーの企画・指導
2004年、藍綬褒章を受章する
2013年、早稲田大学スポーツ功労賞を受賞する
2014年、東京で開催された卓球の世界大会では組織委員会委員長に就任する
2014年9月、著書「卓球 スピードマスター 勝利への近道!」を監修する
上記以外に、日本卓球協会名誉会長・国際卓球連盟会長アドバイザー終身名誉会員・日本オリンピック委員会名誉会員・オリンピック、パラリンピック競技大会組織委員会評議員・日本スポーツマンクラブ常任理事などを務めています。
さらに、木村興治さんは
国際卓球ルールの変更においても、国内外で様々なリサーチをもとに、科学的実験や多くのテストマッチを実施した結果を総括し、最終的な方向づけを決定する総会での議論を牽引、多大な貢献を果たした。すなわち、2000年、ボールの直径を従来の38mmから40mmに変更するという卓球界史上初のダイナミックなルール変更、2001年、卓球競技の1ゲームの総ポイント数を21点から11点への変更、2002年、サービスルールの大幅改正などである。
と言った感じで、国際卓球のルール変更において
- 2000年、ボールの直径38mm→40mmへの変更
- 2001年、1ゲームの総ポイント数を21点→11点への変更
- 2002年、サービスルールの大幅改正
などなど…多大な貢献をされていますね。