今回は、71歳で天国に旅立たれた岸部四郎さんの
中学や就職までの経歴
タイガース加入時のエピソードやアメリカ留学などのエピソード
「西遊記」や「ルックルック」などタイガース解散後の活躍エピソード
などなど…岸部四郎さんの若い頃の画像・動画や経歴について書きました。
岸部四郎さんの若い頃はどんな方だったんでしょうか?
目次
岸部四郎の若い頃の経歴は?中学卒業~就職まで

岸部四郎さんの若い頃ですが
京都市立近衛中学校を卒業

引用:https://www.century21-kyoto.net/spot/shisetsu_k26103/shisecate_k0104/detail_k1202171/
その後京都の印刷会社に就職するも、早々と退職する
その後、「ザ・タイガース」のメンバーの兄・岸部一徳さんを頼り
1967年、「ザ・タイガース」のバンドボーイ(雑用係)を1年程務める
「ザ・タイガース」デビュー後、しばらくは音楽面でのアドバイザーを務めた
1968年、タイガースメンバーと渡辺プロダクションの助言で、音楽評論家を目指し、1人で当時最先端の緒若者音楽発祥地だったアメリカロサンゼルスに留学
1968年7月~、音楽雑誌「ミュージック・ライフ」の音楽特派員としても活動する
岸部四郎の若い頃の画像や動画は?ザ・タイガース加入時~解散まで

さらに、岸部四郎さんの若い頃ですが
1969年3月、「ザ・タイガース」のギター・加橋かつみさんが脱退する
その事で、兄・一徳さんに電話で呼び戻され、「ザ・タイガース」に加入する

元々、事務所の渡辺プロダクションは
- 楽器が弾けなくてもルックスのいい人
- ルックスは不問で音楽のちゃんとできる人
など…何人か候補を選んで、加橋さんの後任を決めようとしていましたが…
「ザ・タイガース」のメンバーは他人を加入させる事があり得なく
一徳さんの弟で、「ザ・タイガース」のバンドボーイも務めたことのある岸部四郎さんが加入する事に
「ザ・タイガース」加入当初は、ギターが弾けず、弾き真似をして
タンバリンや加橋さんのヴォーカルパートを担当されていましたが…
- ヴォーカルパートが、加橋さん程の高音を出せた
- 音楽的にもヴィジュアル的にもセンスが良かった
と言った岸部四郎さんの部分から…
- ユニフォームの常時着用を辞める
- 曲に、フォークソングやハードロックを取り入れる
など…「白馬に乗った王子様」的なアイドルイメージの脱却に成功する
1968年「シー・シー・シー」
1968年「花の首飾り」
さらに、岸部四郎さんは自身も
- 関西弁を話すなど…ステージ上での軽快なトーク
- 当時のアイドルではタブー視されてたメガネ着用
などにより人気を博し…単独でのTV出演を行う様になる
そして、1970年、兄・一徳さんと「サリー&シロー」を結成し、アルバム「トラ70619」を発表する
ちなみに、この頃はある程度のリズムギターおよびタンバリンをこなせる様になってた
その後、1971年1月24日、日本武道館での解散公演により「ザ・タイガース」が解散する
岸部四郎の若い頃の画像や動画などは?ルックルック・西遊記など

さらに、岸部四郎さんの若い頃の経歴ですが
1971年、フォークソングユニット「ブレッド&バター」に参加する
1972年、アルバム「ムーンライト」を出す
タイガースが解散して間もない頃、アメリカ合衆国で知り合った1歳年上の女性と結婚する(1987年に離婚)
当時所属してた渡辺プロダクション所属の天地真理さんや「ザ・ピーナッツ」などのステージで司会を務める
1978年、テレビドラマ「西遊記」で沙悟浄(さごじょう)役を演じる


「西遊記」でのエピソードとして
- 「西遊記」は海外でもヒットし、海外のインタビューにて「あなたは沙悟浄ですか?」の質問に、「そうだよ」と回答し現場がパニックに
- 「西遊記」の収録中、休憩時に共演者の夏目雅子さんに「俺は一億持ってる」と口説いたと言う噂
ちなみに、最盛期の年収は1億8000万もあったとか
ちなみに、その後「西遊記」は何度もリメイクされてるものの…
「沙悟浄役で岸部四郎さんを超える俳優はいない」とファンの間でも絶賛されてるとか
そして、「西遊記」以外に
- 1981年、思えば遠くへ来たもんだ
- 1982年、はじめまして・再婚
- 1983年、ちびっ子かあちゃん
など…多くのドラマで俳優として活動する
1984年10月~、沢田亜矢子さんの後任として「ルックルックこんにちは」の司会者を務める
この番組は、1998年4月まで13年半に渡り、司会を担当する
以上が、岸部四郎さんの若い頃の経歴や画像・動画になりますね。
