今回は、新井祥子町議の
wiki風プロフィールや
両親や妹など家族に関する情報
丸坊主や旦那さんとの離婚などの経歴や過去
出身高校・大学などの学歴
などなど…新井祥子町議について書きました。
新井祥子町議のwiki風プロフィールは?
引用:https://www.sankei.com/smp/politics/news/201206/plt2012060015-s1.html
新井祥子町議のwiki風プロフィールですが
- 生年月日:1969年生まれ
- 出身地:群馬県桐生市
- 家族:父親は会社員(2017年他界)・母親はパート主婦・妹
親から「もっと自分を大切にしなさい」と言われる程、世話好きな性格
湯治仲間が困ってると夜中でも駆け付け、相談事で仕事の休憩時間がなくなり昼ご飯が食べれなくなったりした
ただ、湯治仲間の相談に乗るうちに、草津の閉鎖的な話を聞くようになり、その事を選挙に出る決め手になったとか
以上が、新井祥子町議のwiki風プロフィールになりますね。
新井祥子町議の学歴(出身高校・大学)は?
引用:https://www.sankei.com/smp/politics/news/201206/plt2012060015-s1.html
新井祥子町議の学歴ですが
2019年12月10日「週刊女性PRIME」によりますと…
- 高校時代、ボランティア活動に携わる
- 県内の短大卒業後、イラストレーターか漫画家の夢を諦め、一般企業の営業担当に
と言った事が分かりました。
高校時代は障害者のキャンプを手伝うなどボランティア活動に携わった。
県内の短大卒業後は「イラストレーターか漫画家」の夢をあきらめ、一般企業の営業ウーマンに。
ちなみに、新井祥子町議は絵が昔から得意で、人を癒す絵を描くイラストレーターでした。
ただ、新井祥子町議の出身高校・大学などは不明でした…
出身地・群馬県の短期大学だと
- 高崎商科大学短期大学部
- 群馬医療福祉大学短期大学部
- 共愛学園前橋国際大学短期大学部
- 東京福祉大学短期大学部
- 桐生大学短期大学部
- 新島学園短期大学
- 育英短期大学
などがあり…イラスト関係が学べそうな短期大学だと
桐生大学短期大学部 アート・デザイン学科
がありました。
ただ、現状では、新井祥子町議の出身大学に関しては不明ですね・・・
以上が、新井祥子町議の出身高校・大学などの学歴でした。
新井祥子町議の経歴・過去は?
引用:https://www.sankei.com/smp/politics/news/201206/plt2012060015-s1.html
新井祥子町議の経歴ですが
10代からアトピー性皮膚炎に苦しみ、湯治の為に草津に行ったのがきっかけで、2009年頃から草津に移住する
温泉同好会で知り合った年上の男性と30代後半で結婚する
元々は、普通の主婦・会社員でしたが、湯治仲間から勧められて選挙出馬を決める
選挙を勧めれらた当初は政治家になるなんて考えていなかったので、戸惑うも
昔から「人の役に立つ生き方がしたい」と強く思ってて、人から頼まれると断れない性格も相まって、かなり悩むも出馬を決める
出馬には、夫「主婦が出馬なんて考えられない。無理に決まってる」と呆れ顔
両親「主婦として、家庭をまず守るべきでしょう?」と言われるなど…家族は大反対だった
新井祥子さんは、顔を合わせる度に家族・夫を説得し
家族・夫の手を借りず選挙準備をする
選挙費用は、自分の貯金と借り入れで捻出した
ただ、最後には家族・夫も選挙を手伝ってくれた
選挙の支援者は、15人程で20代後半~30代後半の湯治仲間・草津町外の友人がなってくれた
告示前の政治活動のお宅訪問・辻立つする際の服装は、ピンク・クリームイエロー・ベージュなど男女問わず好感を持たれるきつすぎない色のスーツを選んで着てた
さらに、好印象を与えられるように、話し方・握手・他の候補者との接し方などを工夫した
引用:http://senkyoyohin.com/interview/16_ara/arai7.html
選挙時に配ってたチラシでは、イラスト・丸文字など親しみやすい女性らしさをアピールした
2010年1月、草津町議会議員選挙で初出馬し、330票を獲得するも落選
選挙期間中、「出馬する1年前に草津に住んだ人がこの町の為に、本当に働いてくれるか?」など町の人が新井祥子さんに信じていいのか?迷ってる印象があったなど…「草津がより住み良い町になるまで、議員としてやり抜く覚悟を理解して貰えなかった」事も敗因の一つと考え
坊主にする事で、落選した事の謝罪・必ず草津に尽くす覚悟を示した
町の人は、始めは坊主には驚いていたが、その事で覚悟が伝わり、新井祥子さんの見る目が変わった
引用:http://senkyoyohin.com/interview/16_ara/arai7.html
丸坊主にするのは、かなり勇気がいったそうです。
最初は自分でやるも上手くいかず、美容師さんに手伝って貰ったとか
2011年4月、草津町議会議員選挙に再出馬
告示前の政治活動は、個人新聞「しょこたん通信」とブログ中心に変える
選挙運動は、前回と同じで辻立ちと選挙カーでの遊説中心だった
個人新聞とブログ中心に変えたのは
- 初出馬の後に、夫と円満離婚した
夫は、良き友人の一人として、再出馬を応援してくれた - 以前、務めてた会社は初出馬時に辞めてた
- 離婚後は、昼は土産物店・夜はホテルの管理人室に住み込みで働く生活になった
など…選挙準備に使えるのは、平日のスキマ時間か、休日だけと言った感じだったから
個人新聞には、草津の町政に関する自分の意見を書き、一般新聞の折り込みチラシとして配布した
辛口の内容で、新聞のタイトルを「しょこたん通信」したり自作のかわいいイラストを加えるなどして、「新井祥子は、辛口だけど、親しみやすい女性」のイメージを作る様にした
開始当初は2カ月に1回、2010年7月以降は毎月1回、選挙の3か月前に当たる2011年1月からは、2週間に1回のペースで、毎回2800部を配布した
ブログは、プライベートな軽い話題や草津の話題などについて書き、適宜更新した
新井祥子さんが原稿を書き、支援者に誤字脱字や内容のチェックをして貰ってた
個人新聞は、辻立ちや遊説中に「しょこたん」、「通信読んでるよ」、「応援しているよ」と声を掛けてくれて、手を振ってくれる人の数も増えるなどの効果があり
ブログでは、草津町外の新たな支援者と知り合えた
引用:http://senkyoyohin.com/interview/16_ara/arai7.html
選挙で初当選にした際は
テレビで選挙速報を見てて、友人から「当選したよ!」と電話が入るも、テレビで報道される前だった為、半信半疑だった
しばらくして、別の友人からも当選の電話が入り、その後みんなに「おめでとう」と言われても、今ひとつピンと来なかった
その後、役場の人が来て、「当選したので、明日、役場に来てください」と言われ、「本当に当選したんだ」と、やっとじわじわ実感がわいて来るも
感動の号泣はなく、「現実に議員になったんだ。しっかりやらなくちゃ」という気持ちが優先した
初当選の決め手は、「圧力を恐れず、町政についての意見をはっきり訴え続け、個人新聞をこまめに出し、自分の意見を町の人に知って貰った」事だそうです。
その後、経歴は
- 2015年、草津町町議選挙にて落選
- 2019年、草津町町議選挙にて当選
となりますね。
以上が、新井祥子町議の経歴・過去でした。