今回は、新川宗平さんの
- wiki風プロフィール
- 経歴や学歴
- お嫁さんや子供さんなど家族について
- 幼少期や大学時代のエピソードまとめ
などなど…新川宗平さんについて書きました。
新川宗平の経歴やwikiは?学歴(出身高校・大学)やプロフィールは?
新川宗平のwikiや経歴・学歴ですが
1973年7月14日 大阪府寝屋川市で生まれる
1996年 東海大学文学部を卒業
1996年 日本一ソフトウェアに入社
2002年 取締役企画営業部長に就任
2004年 取締役エンターテインメント事業部長に就任
2009年 常務取締役開発部長に就任
2009年 代表取締役社長に就任2011年 ディオンエンターテインメントの取締役に就任
2012年 NIS America, Inc.の代表取締役社長に就任
2015年 宍喰屋株式会社の代表取締役社長就任2016年 株式会社フォグを子会社化
2020年 システムソフト・アルファーのソフト開発部門を事業承継
となります。
新川宗平さんは、日本一ソフトウェアに入社後、営業、広報、開発と、さまざまな分野でゲーム制作に携わり、多くのタイトルのプロデューサーを務めながら、『魔界戦記ディスガイア』などのシナリオを執筆されました。
日本一ソフトウェアの代表取締役社長に就任後も、『絶対ヒーロー改造計画』のシナリオを執筆や『魔女と百騎兵』のプロデューサーを務めるなどゲーム制作の現場に立ち続けています。
さらに、現在の仕事内容について
社長業とプロデューサー業を兼務していますが、業務の9割はプロデューサーです。開発・営業の両面から、お客様に喜んでもらえる商品をどう生み出すかを考えて実行すること、ゲームのコンセプトがぶれないように舵取りをすること、各チームのリーダーとコミュニケーションをとりプロジェクトを成功させること、その他やれることは何でもやること。それがプロデューサーの役割だと認識していますね。うまくいかないこともありますが、くじけずに反省して次につなげることが大切だと思っています。
引用:https://dengekionline.com/school/dod2010summer/interview02.html
とコメントされています。
新川宗平の家族は?結婚して嫁と子供がいてる?
新川宗平さんの1日のスケジュールにて
- 7時〜、子供たちを着替えさせる
- 20時、夕食
- 20時30分、子供たちと戯れる 奥さんの話を聞く
- 21時〜、子供たちが寝たら、仕事するか、マンガ読むか、映画を観る
引用:https://nippon1.co.jp/recruit/s_interview09.html
と記載されてるので、結婚しててお嫁さんと子供さんがいてますね。
新川宗平の幼少期や大学時代のエピソードは?
幼少期は、インディ・ジョーンズになりたかったそうで、世界を股にかけた大冒険をしたくて、大学では考古学を専攻していました。
大学を卒業後は、フリーの考古学者として世界の遺跡をめぐるつもりだったそうです。
大学3年のある日、スーパーファミコンの『ファイナルファンタジーV』を遊ん時に、ジョブチェンジやアビリティの組み合わせによるカスタマイズが凄く楽しくて、「こういうシステムは誰がどうやって考えているんだろう?」「自分だったらこんなシステムを作ってみたい!」などと考えが止まらなくなってしまったそうです。
そして、自分はこの道に進めという天啓だろうと思い、その日のうちに進路を変えて、次の日からゲーム業界1本に切り替えて就職活動を始めたそうです。
大学のゼミの先生に理由を説明した時は、数日前まで考古学者志望だったので、ポカーンとした顔をされたそうです。
元々からゲームは小学生のころから大好きで、ファミコンが発売される前から、インベーダーゲームやジャンピューターなどで遊んでたそうです。
さらに、大学でもゲームのために昼夜逆転の生活をすることもあったそうです。
就活では、ゲーム関連企業の最新採用情報が掲載された『ゲーム業界就職読本』を買い、手当たりしだいにアプローチし、少なくとも50社以上は超えてたそうです。
そして、『The 鬼退治!!目指せ!二代目桃太郎』の広告を見て日本一ソフトウェアのことを知り、せっかくだからと書類を送ったそうです。
ちなみに、当時の日本一ソフトウェアがゲーム雑誌に広告を出したのは新川宗平さんが見た1回だけだったそうです。
これについて新川宗平さんは
たまたま雑誌に1度だけ掲載された広告を見て資料を送ったら入社が決まったわけで、世の中どこにご縁が転がっているかわからないものですね。そういった経緯があるので、私自身、いまだにいろいろな人とのご縁を大事にしています。
とコメントされています。
とにかくゲームが作りたかったので、ゲーム開発に携われるなら、どんな会社でもいいと思ってたそうです。
大手ゲーム会社を面接で受けた時に、大きいほど、入社後数年はゲームセンターの店員として経験を積まないといけないとか新入社員がゲーム開発の現場に参加できる機会が少ないケースが多く、自分のやりたいことができるチャンスをもらえる会社なら、どこでもいいと思ってたそうです。
日本一ソフトウェアを選んだのは、内定後に会社見学に行った時に、本当に小さい会社だったけど、同じ見学に来た3~4人の内定者が「こういう会社なら自分たちのやりたいことを近いうちにできるかもしれない」という話になって、入社を決心されたそうです。
以上が、新川宗平さんに関する記事ですね。