今回は、作家の安部譲二先生の
身長などのプロフィール
若い頃の画像まとめ
凄すぎな若い頃の経歴
などなど…について書いて行きたいと思います。
安部譲二の身長がデカすぎ!本名などのプロフィールは?
安部譲二先生の身長は176cmとかなり大柄です!
同じ身長の作家さんだと
- 平野啓一郎さん
- 遠藤周作さん
と言った方々になりますね。
その他、安部譲二先生のプロフィールですが
- 本名:安部直也(あべなおや)
- 生年月日:1937年5月7日生まれ
- 出身地:東京都品川区
- 血液型:O
と言った感じになりますね。
安部譲二の若い頃の画像まとめ
安部譲二先生の若い頃の画像ですが
上から
- 3歳
- 15歳
- 高校時代(一番左)
- 23歳ぐらい
- 33歳
と安部譲二先生となっておりますね。
ちなみに、安部譲二先生の家族ですが
- 祖父は造船技師・東京帝国大学で夏目漱石さんや正岡子規さんと同期
- 父親は正夫さんで日本郵船に勤務してた・転勤の影響で安部譲二先生はロンドン・パリで育った
- 4人兄姉の末っ子
- 祖母が熱海に別荘を所有してる
見る感じでは裕福な家の子供だったのでは?と思います。
安部譲二の若い頃の経歴が凄い!
安部譲二先生の若い頃の経歴ですが
- 幼少期はヨーロッパで育つ
- 第二次世界大戦が始まる前に日本に帰国
- 小学校の頃は神童と呼ばれた
- 中2で、江戸川乱歩さんの主宰雑誌に大人系小説を投稿
江戸川乱歩さんに「この子は心が病んでいる」と言わる。その後寺で写経をさせられたらしい。 - 15歳でやんちゃな事をしてしまいイギリスへ留学する
少年ボクシング大会のライトウェルター級で優勝
留学先で女性とはめをはずしてしまい退学 - 16歳でカメラマンアシスタントとしてオランダへ
- 帰国後、慶應義塾高校に入り体育会挙闘部主将になるも
またヤンチャ行為をしてまい、1955年春除籍処分になる - その後、高校を6つ程転々としたりアウトローな道に進んだりした
- 20歳前後、ブラディー・ナオと言う名前で地下ボクサーとして活動
- 20歳でアウトローの世界から抜ける
毎朝3時半起床し築地でワサビの番人→昼頃から東京駅レストランでベイカー見習い・ランチタイムのパントリー
→18時半~21時までは新大久保の夜学にて勉学に励む - 22歳、保善高校定時制卒→神田・YMCAホテル学校入学
- 23歳、日本航空の客室乗務員になる(スチュワード→パーサーに出世するなど仕事は出来た)
- 理不尽な乗客を殴ってしまい1965年1月退社
- その後、キックボクシングの解説者・ライブハウス経営・プロモーター・レストラン経営・競馬予想屋など様々な職業を行った
- 30歳頃に、青山にてジャズクラブ「ロブロイ」を経営する
キャデラック・フリーウッドに乗り、東京にて敷地700坪の家に住みドーベルマンを飼うなど経営は良好だった
ロブロイでは、高校生の矢野顕子さんがピアノを弾いていた - その後、色々あり…31歳でパリへ
- 33歳で、ビッグ・ナオ・プロモーション株式会社の社長になる
- 44歳で作家に転身
- 33歳、ビッグ・ナオ・プロモーション株式会社社長
- 44歳で、作家デビュー
と言った感じで安部譲二先生の若い頃はかなりバラエティーにとんでたみたいですね!