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長谷川耕造の年齢・wikiや経歴・学歴(出身高校・大学)は?

今回は、起業家・長谷川耕造さんの

 

 

年齢や出身地などのwikiや

出身中学~大学までの学歴

 

経歴

 

 

などなど…長谷川耕造さんについて書きました。

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長谷川耕造の年齢・wikiや学歴(出身高校・大学)は?

長谷川耕造さんのwikiや学歴ですが

 

  • 名前:長谷川耕造(はせがわこうぞう)
  • 1950年神奈川県横浜市の荒っぽい漁師町にて、酒屋兼米屋の長男として生まれる

 

年齢は、71歳前後になりますね。

 

中学受験をし、中高一貫校・浅野学園に進学する

浅野学園は、偏差値74の横浜市の男子校になります。

 

さらに、猛勉強を経て、湘南高校に進学する

高校時代、読書・映画・ジャズなど…青春を謳歌する
この経験が、将来の「グローバルダイニング」の店作りに反映されてる

 

湘南高校は偏差値74(神奈川県4位の学力)で、神奈川県藤沢市の県立高校になります。

 

大学は、東京大学を受験し不合格になる
その後、浪人し予備校に通い、猛勉強を行う

ただ、大学闘争のあおりを受け、入試は中止となってしまい、早稲田大学商学部に入学する

 

大学入学後「大学は、入学することに価値があっただけの存在だった」と気付き悩んだそうです…
さらに、元々からサラリーマンになるつもりもなかったそうです。

 

2年で大学中退し、シベリア鉄道に乗りスウェーデンに渡り、首都・ストックホルムを基点にヨーロッパ全土を放浪する

 

 

以上が、長谷川耕造さんの年齢やwikiになりますね。

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長谷川耕造の経歴は?

長谷川耕造さんの経歴ですが

 

1972年、帰国

 

1973年10月、23歳で「有限会社長谷川実業」を創業し代表取締役に、高田馬場に喫茶店「北欧館」を開業する
仕事が面白く、1日16時間働いてたそうです。

最初に喫茶店を始めたのは「素人」でも出来るからだそうです。

その後、「北欧館」は1日480人来店する大繁盛店になる

 

その後、読んでた本に「商売を伸ばすには最初の5年で3店舗」とあり、「5年間で3店舗作る」事を目標にする

さらに、「2年間で1000万円貯めます!」と銀行に宣言し、2年間猛烈に働き、毎月60万貯金し1300万を貯める
そして、1976年には2000万円の融資を銀行からされたそうです。

 

そして、1976年六本木で「パブレストラン・ゼスト」を出す

この店を出した後は、レストラン事業に転身する

この店は苦戦し、自ら街頭でマッチ配りをし営業を午前5時まで延長、インテリアやメニューの改善などを行い…開店から1年後に繁盛し始める

1978年、原宿に「ゼスト」を出し、28歳で5年で3店舗を出す事に成功する

 

その後、「カッコいい」「買い付けで外国へ行ける」などの動機で、原宿にアンティークショップを出すも失敗する

 

そして、企業の就業規制や人事考課の勉強を行い、アンティークショップを1年程で閉め、イタリア料理「ラ・ボエム」として再出発する

 

そこで、勉強した人事マニュアルに取り組むも、売り上げは落ち・人は辞めて行ったそうです。

結局、僕の知識は頭でっかちの普通の日本型システムだったんですね。現場の声が僕にまで届かない。そうなると、企業戦略がまるで通じなくなってしまって、そういう経験をしてからは、全部自分たちでやっていこうと決めたんです。

 

そこで、実績を挙げた人がキチンと評価されるインセンティブ制度を導入する
その影響で、お店にいいスタッフやシェフが集まる様になり、売上が上がり出す

僕自身、普通の組織では暮らせない性格だから、僕みたいな人間がやる気を出して働けるような会社をつくりたかった。1年目には、初めてインセンティブを取る人間が出てきて、その時ですね、希望を見たのは。うちの会社、これでガーンと伸びるんじゃないか、と

 

1985年2月、長谷川実業株式会社代表取締役

 

ちなみに、1989年に世田谷区三宿「ゼストキャンティーナ」を出店し、2ヵ月後に「カフェ ラ・ボエム」をオープンさせ、地域が活性化し、渋谷などからタクシーですぐに行ける場所であることなどから、その後三宿は隠れ家的スポットとして知名度を上昇させた事があり、半径1km以内の地域に別業態のレストランを互いに出店し売り上げを競争させるというやり方を行ってる

 

その後、1990年代中期から2000年にかけ代官山や西麻布や表参道や恵比寿に「ゼストキャンティーナ」や白金に「カフェラ・ボエム」を裏通りなどにゲリラ的に出店し、深夜5時まで営業したので、夜遊ぶ人達の間で知名度が上がる

起業から10年程7店舗、正社員が25名、アルバイト100名、年間売上8億円までのお店に急拡大して行く

 

1985年、株式会社に改組する

1987年、「ゼストキャンティーナ」を当時流行の兆しがあった「テクスメクスレストラン」に転校し、大成功する

さらに、イタメシブームの影響で「カフェラ・ボエム」を成功し、メジャーな知名度に

1991年、アメリカ第1号店としてロサンゼルスに「ラ・ボエム」

1993年、代官山にアジアンレストラン「モンスーンカフェ」

1996年、サンタモニカに「モンスーンカフェ」

1997年、株式会社グローバルダイニングに名称変更

1999年12月、東証2部上場を果たす

2000年、西麻布に日本料理「権八」

2002年、チョコレート専門店「デカダンス ドュ ショコラ」

2004年、大型フードコート「フードコロシアム」を沖縄にオープンし、大阪・福岡など国内主要都市に店舗を開く

 

2004年3月、株式会社グローバルダイニング取締役代表執行役社長

2010年3月、株式会社グローバルダイニング代表取締役社長

 

2012年、六本木に「LB6」

 

海外で現在は、サンタモニカ・コンテンポラリー・ワールドキィジーヌレストラン「1212」、ロサンゼルスにイタリヤレストラン「ラ・ボエム」や香港に創作和食「権八」を出してる

 

ちなみに、長谷川耕造さんの経営哲学は

徹底した実力主義と、結果を第一としており、つねに社員・アルバイト全ての従業員に対し、競争意識を徹底させている。フェアに店を運営し、収益を上げ、月商が高いものがこの先、生き残ってゆくという資本主義における原理原則を教育させると共に、これが同社の原動力にもなっている。

頑張った者が正当に評価される、徹底した実力主義が背景にあるからだ。実績を挙げていれば、アルバイトからでも時間を待たずして店長 にもなれるし、30歳代前半で年収1000万円を超える人間もいるという。もちろん、逆もある。店長になっても業績を落とし続ければ、降格。

従来型の多くの日本企業のように、上司の気持ちひとつで昇進や昇給に影響が出ることはない。数字がすべてだ。

「うちは完全な実力主義。異動・昇進・昇給は自己申告制。この承認については、僕を含むすべての役員と店長で会議を開いて、最終的には多数決で決めていくんです。僕の1票も、20歳代の若い店長の1票も同じ。完璧な民主主義ですね」

となっていますね。

 

以上が、長谷川耕造さんの経歴になりますね。

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