今回は、生稲晃子さんの
- 小学校~大学までの学歴
- 運動神経抜群や成績優秀エピソード
- 小学校~大学までのエピソード
などなど…生稲晃子さんの学歴について書きました。
生稲晃子の最終学歴は恵泉女学園短大卒?中学・高校は成績優秀!
生稲晃子さんの学歴ですが
小金井市立小金井第三小学校→小金井市立緑中学校→吉祥寺女子高校→恵泉女学園短期大学 英文学科 卒業
生稲晃子さんは、幼少期からスポーツが得意で、ジュニアサッカーチーム「小金井フットボールクラブ」に助っ人で参戦し、全国大会優勝されています。
小学校は卓球部でキャプテン、中学ではバレーボール部に所属し、小学校時代は50mで6秒8と言う俊足でした。
中学時代から成績が優秀で、中学の1学年下に中山美穂さんがいてました。
この頃は一番のモテ期で、告白された人数を数えニヤニヤされてたそうです。
吉祥寺女子高校は2007年度から完全中高一貫教育校になりましたが、生稲晃子さんは高校から一般受験で進学されています。
高校でもバレーボール部に所属されています。
部活は、腕立て100回・腹筋100回など厳しい練習で、ご飯もかなりの量を食べてたそうです。
当時の生稲晃子さんは「アイドル活動よりバレーを優先したかった」そうです。
出身高校は芸能活動禁止でしたが、生稲晃子さんは成績優秀だったので、「トップの成績を維持する事」「大学受験をする事」を条件に芸能活動を許可されていました。
そして、生稲晃子さんは高校1年から芸能活動を始めています。
生稲晃子さんの最初の仕事は「マクドナルド」のCMだったそうです。
引用:https://ndff.net/ikuinaakiko-gakureki/
1984年の16歳の時に母親と喧嘩し「稼ぎがないくせに偉そうな事を言うな」と言われ、「ホリプロスカウトキャラバン」の賞金に惹かれ、兄と賞金を山分けする事を条件に兄を推薦者にして応募し3次で落選するも、ホリプロ系列のモデル事務所からスカウトされます。
1986年3月、当時から「タッチの浅倉南に似てる」と言われたので、「ミス南ちゃん・コンテスト」に出ます。
ただ、コンテストは「芸能事務所に所属していない事が条件」だったので落選するも、そこにいたレコード関係者におニャン子クラブのオーディションに誘われます。
乗り気ではなかったそうですが、当時ファンの田原俊彦さんのレコードをくれると言われ、オーディションを受ける事に決めます。
ちなみに、生稲晃子さんはミス・南ちゃんコンテストで結果が出ないと大学受験に専念する予定だったそうです。
そして、ミス・南ちゃんコンテストの結果が分かった時は、電車の中で号泣されたそうです。
1986年、おニャン子クラブの会員番号40番としてデビューします。
当時恋愛禁止でしたが、番組共演者から連絡先を渡される事もあったそうで、当時について「まるで学校の延長みたいだった」と語られています。
高校での成績は優秀で常に5番以内でしたが、芸能活動をされてたので学校推薦が貰えなかったので、高校3年時におニャン子クラブを活動休止し、大学受験に専念をされました。
生稲晃子の学歴は?大学時代は?
元々、生稲晃子さんは芸能活動を続ていくつもりはなく、将来は学校の先生を目指していました。
なので、大学進学後もキチンと授業を受けられていました。
恵泉女学園短期大学の偏差値は現在は35~38ぐらいだそうですが、生稲晃子さんの在籍時で偏差値は48ぐらいで、現在よりも入学が難しかったそうですよ。
19歳で、短期大学を卒業されています。
「うしろ指ひかれ隊」のメンバーに19歳で選出され、1987年9月のおニャン子クラブ解散後もこのユニットで活動をされています。
デビュー曲「時の河を越えて」はヒットチャートで初登場1位を獲得しています。
そして、生稲晃子さんは事務所をプロダクション尾木に移籍をされています。
https://youtu.be/j3C6js5Knzs
そして、1988年4月にうしろ指ひかれ隊は解散し、その後短大2年時の1988年5月に「麦わらでダンス」でソロデビューします。
その後、22歳の1990年頃から本格的にドラマやバラエティーなどタレントとして活動を行っていました。
以上が、生稲晃子さんの学歴に関する記事ですね。