今回は、テレビ東京を退社される事が決まった上出遼平さんの
パンクやバイクなど少しグレていながらも、成績優秀で家族と仲良しだった中学・高校時代
早稲田大学法学部で犯罪について学び、ボクシングプロライセンスを所得し、中国の山奥でボランティアをした早稲田大学時代
就職時代やAD時代などの経歴
などなど…上出遼平さんについて書きました。
上出遼平のプロフィールは?
まずは、上出遼平さんのプロフィールですが
- 名前:上出遼平(かみでりょうへい)
- 生年月日:1989年2月14日
- 出身地:東京都
上出遼平の高校はパンクだけど成績優秀?
上出遼平さんは中学と高校にかけて少しぐれてて、バイクで走り回ったり、バンドを組んだりしてたそうです。
グレた理由は、温室育ちな自分に対する劣等感だそうです。
ただ、上出遼平さんの出身高校は不明でした。
上出遼平さんは、高校入学して間もなく友人とバンドを組みました。
上出遼平さんが志したバンドは
我々は「パンク」というスタイルを選択した。体制に抗い、リビドーを吠え、楽器を打ち壊し、出演するライブハウスは軒並み出演禁止になるような、そんなバンドを志した。
と言った感じのバンドでした。
パンクバンドを始める為に、革ジャンを買われたそうで、その革ジャンを羽織って家に帰ったら、母親に「カッコいい」父親に「ロンドンパンクかよ」と言われ、この時に反抗期を逃したそうです。
ちなみに、この革ジャンを馴染ませるために、朝食時も寝る時も着てたそうです。
さらに、髪型はサイドを刈り上げトップを限界までブリーチしたツーブロック、耳には複数の穴を開けサイコロピアスを付けてたそうです。
その為、高校の保護者会で母親が担任に呼び出され「お前の息子は人間もどきだ」と言われたそうですが、母親は泣きながら「でもうちの子は良い奴なんです」と言ったそうで、この事は保護者間で語り継がれてるそうです。
実際に、上出遼平さんの高校時代は勉強をキチンとしてて、クラスで1・2番をキープするほどの学力で、家族との仲を良好でした。
その後、バンドは1年で解散し、ピアスを外し髪を黒くしたそうです。
ちなみに、上記の革ジャンはその後もずっと大切にしていましたが、大学に入って間もなく友達が上出遼平さんをモデルにした舞台を行い、嬉しさのあまり打ち上げでその革ジャンをあげたそうです。
上出遼平さんは自身の学生時代について
学生時代は人に言えないような良くないことも沢山してきたけど、その時の経験がすべて今につながっている。もちろん自分が誰かに迷惑をかけたことはしっかり反省しなければいけないけれど、自分が悪いことを経験してきたからこそ、”悪”ととらえられがちな人々の背景や奥底にある事情に思いを巡らせてしまう。そんな思いが番組作りにつながっているのかもしれない。学生時代に没頭した『パンク』という態度も非行も全部今につながっている。どんなにカッコ悪いことをしてしまっても、それも全部経験。経験していないことは感じられない、描けない
引用:https://news.line.me/issue/oa-yomutxcom/49072f72faa5
とコメントされています。
早稲田大学法学部でのエピソードまとめ
高校時代に少年犯罪や非行に興味を持ち、早稲田大学法学部に入学され、少年犯罪や少年非行の事例の研究をされていました。
少年院に足を運び「悪い奴ってなんだっけ?」と言う事をずっと自分に問うてたそうです。
さらに、中高時代に学校の体育の長距離で途中でリタイアしてしまうぐらい体力がなかった事が劣等感だったらしく、それを克服するためにボクシングを習い、1年でプロライセンスを所得されています。
そして、中国の山奥にある元ハンセン病患者の方が隔離されてる村に出向きボランティアをされてたそうです。
ボランティアをされた理由は、自身の潔癖症克服の為だそうです。
このボランティアで目にした世界はその後の人生に大きな影響を与えたそうです。
上出遼平の経歴は?
上出遼平さんは、元々テレビっ子ではなく、むしろテレビが苦手な方だったそうです。
就活の事もギリギリまで考えてなかったそうですが、友人に「今日が日テレのエントリーシート締め切りだよ」と言われ、あわてて出したそうで、これが上出遼平さんの就活の始まりでした。
ただ、元々「オフィスに籠って何かするのは絶対に出来ず、色々な場所に行きたい」と思ってて、「色々な所に行って、人と話してものづくりができるなんて最高」とテレビの仕事に対して興味を持たれたそうです。
2011年に大学時代の中国ハンセン病患者の村での出会いからリアルを伝える番組を作りたいとテレビ東京に入社
入社後は「ありえへん世界」のADをされ、テレビづくりの0~100までを1年間で叩き込まれたそうです。
当時、テレビ東京は圧倒的に人数が少なく、一気に制作の過程を全部やらされるので、経験を積むと言う部分ではよかったそうです。
入社2年目から「世界ナゼそこに?日本人」とADをされ、海外の辺鄙(へんぴ)担当で、赤道ギニア共和国やガンビアなど調べても情報が出て来ない国ばかりだったそうです。
ただ、自分じゃいけない所に行きたいと思ってたので、ありがたかったそうです。
2017年からプロデューサーとして「ハイパーハードボイルドグルメリポート」の企画・演出・撮影・編集を行う
2019年「ハイパーハードボイルドグルメリポート」でギャラクシー賞受賞
以上が、上出遼平さんに関する記事ですね。