今回は、石原慎太郎さんのお嫁さん・石原典子さんについて書いて行きます。
石原典子さんですが、父親は戦地で亡くなってしまうなど…壮絶な幼少期を送っています。
そんな石原典子さんの
小学校時代から友達だった石原慎太郎さんとの衝撃的な結婚エピソード
亭主関白な慎太郎さんが設けたかなり凄い家訓や子育てエピソード
34歳から慶應義塾大学に入学した時のエピソード
などなど…石原典子さんの若い頃について書きました。
石原典子の若い頃の画像が美人すぎ!幼少期のエピソードは?
こちらが、石原典子さんの若い頃の画像になります。
非常に綺麗な方ですね。
そして、幼少期についてですが
落下傘の紐などを製造する紡績会社の東洋麻糸に勤務してた父親・石田光治さんが東洋麻糸の彦根工場に赴任し
1937年8月に召集令状を受け、妊娠してる母親・まさ子さんと1935年生まれの2歳のお兄さん・省三さんを残し、中国戦線に出征した後、1938年1月1日に母親の実家のある広島県広島市己斐町で生まれます。
父親の光治さんは石原典子さんの誕生は戦地で知り、一度も石原典子さんを抱けないまま戦争で亡くなりました。
その後、神奈川県に転居し、鎌倉市逗子(ずし)で育ちます。
石原典子の若い頃は?結婚の馴れ初めが凄すぎ!
1955年12月に小学校の時からの知り合いの石原慎太郎さんと高校卒業後すぐに結婚します。
この時、石原慎太郎さんは23歳で石原典子さんは17歳でした。
2人の母親同士が知り合いで小学校の頃から友人関係で、石原典子さんは12歳の頃から石原慎太郎さんに恋心を抱いてたそうです。
結婚について、石原慎太郎さんが阿川佐和子さんとの対談で
まあね、面倒臭いからしちゃったんですよねえ。今でいうラブホテルから二人で出てくるのを親戚に見つかって、おっかないおばあさんにいいつけられちゃった(笑)。それで、呼びつけられて“切れるか結婚するか、どっちだ?”って言われて、しょうがないから”結婚します”って決心しちゃったのよ(笑)
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E
とコメントされています。
ちなみに、結婚を機に、名前を由美子から典子に改名をされています。
改名理由は、名前の字画を悪さからでは?と言われています。
石原典子の若い頃は?子育てエピソードが亭主関白すぎ!
石原慎太郎さんはかなり亭主関白な方だった様で
石原家では
- 朝は絶対に物音を立ててはいけない
- 朝食は毎日三種用意すること
- 騒がしい子供と一緒に食事を取りたくないので食事は完全二部制
と言う家訓がありました。
でも、石原典子さんは
- 家訓に対し、異論を唱えた事はない
- 夜寝てる時に、些細な事で起こされても文句を言わない
人だったそうです。
石原慎太郎さんは、執筆活動で夜遅くまで行い、起床は昼前後になる事が多く、家族全員で生活音に気を配る生活をされていました。
普段は母親らしく子供たちに愛情を注いでくれましたが、ひとたび石原慎太郎さんの機嫌が悪くなると、子供たちを徹底的しつけたそうです。
息子の良純さん曰く「慎太郎さんと典子さんは2人で1つ」だったそうです。
石原典子の若い頃は?慶應に進学した理由は?
そんな、石原典子さんですが、30歳になり子育てがひと段落ついてから、たった一度だけ石原慎太郎さんにわがままを言って、1972年に慶應義塾大学法学部政治学科通信教育課程に入学されます。
高校卒業後すぐに結婚した石原典子さんにとっては、大学進学は長年の夢だったそうで、その夢を石原慎太郎さんも応援をされました。
ちなみに、石原典子さんは子どもさん4人全員、慶應義塾大学に進学をさせています。
石原典子さんは大学卒業後、1979年に著書「シルクロードを夢見るとき」を発行されています。
以上が、石原典子さんの若い頃に関する記事ですね。