今回は、榊原信行さんの
- 高校・大学時代についてや
- 就職試験でのエピソード
- 東海テレビ事業株式会社の入社後の優秀過ぎるエピソード
- K-1、PRIDEに関するエピソード
などなど…若い頃(昔)について書きました。
榊原信行の若い頃(昔)は?高校・大学は半田・愛知?サッカー経験者?
引用:https://newsmatomedia.com/sakakibara-nobuyuki
榊原信行さんの若い頃(昔)についてですが
1963年11月18日生まれで、愛知県半田市で育ちます。
高校は、愛知県立半田高校でサッカー部に所属していました。
大学は愛知大学(偏差値45~52.5)出身で、ウィンドサーフィンに熱中します。
大学は1987年に卒業しました。
半田高校は
- 偏差値 68
- 半田市の県立の進学校
- SSH指定校
と言った感じの高校になります。
若い頃(昔)は?就職試験・入社時のエピソードは?
幼少期の頃にボーイスカウトをやっていた為、みんなひとつの場所に集まり、盛り上がる事を企画するのが好きで、社会人になったら「祭りを作る側の会社」に入りたかったそうです。
その為、大手広告代理店・首都圏もしくは大都市のテレビ局に履歴書を送るも全戦全敗だったそうですが、東海テレビ放送は最終選考まで残ります。
しかし、東海テレビからも不採用の通知が届きますが、ショックのあまりアポなしで東海テレビの受付に行き、人事部の人に会わせて貰えるようにお願いします。
そして、人事部の人が会ってくれて、「どれだけ自分がこの会社に入りたいか、この会社に入ったらどれだけ貢献できるか」と必死に伝えたそうです。
その話を聞いた人事部の人は、「あなたの思いは分かりました。上にも伝えておきますね。」と言ったそうです。
その1週間後に自宅に「東海テレビでは採用できないけど、東海テレビ事業で社員募集する事になりました。榊原君はイベントをやりたいようだし、やる気があるならもう一度面接を受けてみないか」と言う手紙が来たそうです。
試験は、役員10人から1時間程質問を浴びまくると言う難関もありましたが、見事合格となりました。
若い頃(昔)は?入社後のエピソードは?
東海テレビ放送の子会社でイベント事業を行う東海テレビ事業株式会社に入社し、最初の研修で配属されたのはテレビショッピングをやってる商業部でした。
その後、映像事業部に研修として配属され、東海テレビが作った番組・中日ドラゴンズの優勝までの軌跡のVHSの販売などをされていました。
その後、正式に事業部に配属され、多くの企画を提案し、その中のいくつかは東海テレビ事業にとって大きな利益をもたらイベントに成長したそうです。
ちなみに、知多郡美浜町・小野浦海水浴場での「美浜海遊祭」も若手社員の頃に立ち上げた企画で、この祭が軌道に乗った事で、榊原信行さんはやってみたい事であれば会社側が認めると言う一定の裁量権が委ねられるようになりました。
そして、岐阜県ダイナランドスキー場での「ダイナランド・スノーフェスティバル」、各大学のミスコン代表者を集めそこでナンバーワン決める番組、東海テレビ残体でやる文化的なクラッシックコンサートなどを企画されたそうです。
若い頃(昔)は?K-1、PRIDE エピソード
1993年に29歳で、代々木第一体育館での「LIVE UFO」のイベントで開催されたK-1の第一回大会を見て強い衝撃を受けます。
「屈強な男たちが殴り合ってる迫力がとてつもなくて、凄いと思った」そうです。子どもの頃に名古屋巡業で来たアントニオ猪木さんの練習を間近で見た時と似た衝撃を受けたそうです。
当時のK-1は、イベントの協賛スポンサーとチケット代のみでの興行で、どこもテレビ放映してなかったそうで、「K-1を名古屋で開催したい」と思います。
そして、角田信行さんと石井和義さんに挨拶に行き、名古屋での開催のお願いをすると、「いいよ、前向きに考えよう」と言う返答が返って来て、K-1名古屋大会の興行権と放映権を得る事に成功します。
そして、1994年12月10日に名古屋レインボーホールで「k-1 LEGEND~乱~」と言うイベントをK-1として初の地方開催を行い、爆発的な収支を上げました。
そして、1995年夏にK-1軽量版のK-3グランプリと言う大会・1995年年末にK-1ヘラクレスと言う大会を行い、K-1の人気がうなぎ登りに上がって行きます。
さらに、1997年10月東京ドームでの「PRIDE.1」にて、高田延彦さんとヒクソン・グレイシーさんの異種格闘技戦の実現に成功します。
この試合が実現したのは、榊原信行さんと高田延彦さんが2人でお酒を飲んだ時に
最強のプロレスラーとも呼ばれた男が、泣いていた。
嗚咽しながら、言うんです。俺はUインターを愛してくれた人を裏切ってしまった。もう引退したい。でも、ヒクソン・グレイシーかマイク・タイソンと戦ってから引退したいって
それは、榊原が初めて目撃したプロレスラーとして生きる男の業の深さだった。
引用:https://www.gentosha.jp/article/9259/?page=13
と言う高田さんの姿を見た衝撃がきっかけだとか。
以上が、榊原信行さんの若い頃(昔)に関する記事ですね。