今回は、中井貴惠さんの母親で佐田啓二さんのお嫁さんの杉戸益子さんについて書きました。
- 佐田啓二さんとお嫁さん(妻)の益子さんとの馴れ初め
- お嫁さん(妻)の益子さんと小津安二郎監督とのエピソード
- お嫁さん(妻)の益子さんの厳しいしつけエピソード
などなど…お嫁さん(妻)の益子さんについて書きました。
佐田啓二と嫁(妻・奥さん)・杉戸益子との馴れ初めや小津安二郎とのエピソードは?
1957年の「映画ファン」より。
佐田啓二さんの結婚披露宴大特集。木下恵介監督、小津安二郎監督、佐野周二夫妻と一緒に記念写真。緊張してる監督が可愛い。 pic.twitter.com/x9DY9MaksT— タム子 (@tamuko_9) December 21, 2017
中井貴惠さんの母親で佐田啓二さんのお嫁さん(妻・奥さん)は、杉戸益子さんになります。
佐田啓二さんとお嫁さん(妻)は1957年2月28日に結婚されています。
交際期間10年を経ての結婚だったそうで、当時佐田啓二さんは31歳で、お嫁さん(妻)の益子さんは28歳でした。
お嫁さん(妻)の益子さんは、松竹大船撮影所前のレストラン「月ヶ瀬」の看板娘で美人で有名でした。
さらに、身長170㎝あり、スタイルもよかったそうです。
なので、小津安二郎さんや周りのスタッフも「美人だなぁ」と見てたそうです。
佐田啓二さんとお嫁さん(妻)の益子さんは、どちらも京都府出身で京都弁が話せる益子さんに懐かしさを感じ、引き寄せられるように食堂に通ってたそうです。
ただ、その食堂は小津安二郎さんの行きつけで、佐田啓二さんは小津さんが来る前に行き、小津さんが来るとバレないように勝手口から撮影所に戻ってたそうです。
そして、結婚式では小津安二郎さんと木下恵介さんが仲人を引き受けてくれたそうです。
結婚式は赤坂の霊南坂教会で行われ、角界の名士200人が出席しました。
ちなみに、元々小津安二郎さんはお嫁さん(妻)の益子さんがお気に入りで、私的秘書の様に連れまわしてたそうです。
そして、佐田啓二さんは益子さんと結婚する際に小津さんに「益子さんと結婚したいのですが」と言って、「もちろん」と小津さんに許しを貰ってたそうです。
しかし連れ回された益子は疲れたのか高熱を出して寝込んでしまった。
小津は出掛ける事を止め、寝ずに益子を看病したという。
同じ部屋で寝泊まりする四十四の小津と二十歳の益子。
益子は後に小津を男として意識した事は一度もないと語っている。
しかし小津は日頃、周囲には「もう少し俺が若ければ」と嘆いたという。
引用:https://ameblo.jp/tukuhae/entry-12384326036.html
さらに、中井貴一さんが「ぴったんこカンカン」に出演した際に
中井は「原節子さんの髪型あるじゃないですか、「シニョン」。あれはうちのお袋の髪型なの。最初に原さんが映画にお出になるときに、(小津監督が)メイクさんを呼んで『原くんの髪の毛は益子にしてくれ』って」と映画の舞台裏を明かしていた。
「いまの週刊誌みたいなのが昔にあったら、小津先生と母は噂になっていたと思いますよ。そのぐらい可愛がってくださって」
とコメントされています。
なので、中井貴一さんは益子さんに「小津安二郎さんと何かあったの?」と質問した事があったそうですが、益子さんから「ない」と言う答えが返って来たそうです。
佐田啓二の嫁(妻・奥さん)の益子は母親として厳しかった?
平凡 昭和32年5月号『おめでとう!佐田啓二さん』/十年間の清い交際が実を結び、佐田啓二さんと杉戸益子さんの結婚式が2月28日赤坂の霊南坂教会で行われました。夜の披露宴は各界の名士約二百名が出席という盛会ぶり。新郎新婦は媒酌人の小津安二郎 木下惠介両監督と並んで沢山の祝福を受けました。 pic.twitter.com/jGCP8Cp5V2
— 島倉千代菊 (@wataridori333) September 22, 2019
佐田啓二さんは、中井貴惠さんが6歳・中井貴一さんが2歳の時に亡くなられています。
益子さんは、夫が亡くなり当初は目の前が真っ白になったそうですが、自分だけで子供たちを育てないといけないと言う強い気持ちが生れたそうです。
その後は、お嫁さん(妻)の益子さんが女手一つで中井貴一さんと中井貴惠さんを育てられたそうです。
お嫁さん(妻)の益子さんは、非常に厳しい母親で手も早く、中井貴一さんと中井貴惠さんは常に叩かれない様に行動されてたそうです。
さらに、食事中に醤油をこぼすと「食べなくていい」と食事を下げられるなどかない厳しいお母さんでした。
中井貴一さんが俳優デビューした時に、「俺には(佐田啓一さんの)七光りは関係ないよ」と言った際、「佐田啓二と言う名前は、そんな軽いものじゃない。どんなにあんたらがやろうが、親父の名前が後ろで光る事は絶対ない。悔しかったら、やってみろ」と烈火のごとく怒られたそうです。
「本当に厳しい母でした。DVまではいかないけど、手の早い母だった。170センチあったから手も長くて、姉も僕も食事の時も常に(叩かれないよう)臨戦態勢でした」と中井。「父の分もという(育児への)意識が強かったのでしょう」と続けた。
「姉もすでにデビューしていたし、『俺には(父・啓二さんの)七光りは関係ないよ』と言ったら、母が烈火のごとく怒ったんです」と明かした中井。「佐田啓二という名前は、そんなに軽いものじゃない。どんなにあんたらが(俳優を)やろうが、親父の名前が(後ろで)光ることは絶対ない。悔しかったら、やってみろって母に言われました」と益子さんの言葉を口にした。
引用:https://hochi.news/articles/20180110-OHT1T50102.html?page=1
その後、中井貴一さんは「ふぞろいの林檎たち」「武田信玄」「ビルマの竪琴」などヒット作に出演しても、「俳優としてまだまだ」と益子さんは認めてくれなかったそうです。
佐田啓二さんのお嫁さん(妻)の益子さんは2016年に87歳で亡くなられています。
母親が亡くなるの直前に中井貴一さんは病室に号泣してしまったそうで、思わず「1回だけ頭撫でてくれよ」とお願いされたそうです。
そして、頭を撫でて貰った事で「これからも背負い続けられる」となられたそうです。
以上が、佐田啓二さんのお嫁さん(妻・奥さん)の益子さんに関する記事ですね。