今回は、鰐淵晴子さんの
- 若い頃の経歴や動画などについて
- 家系図や妹・朗子さんについて
などなど…について書きました。
鰐淵晴子の家系図や妹は?
映画版あんみつ姫の鰐淵晴子さん、御年15歳。チャーミングです。
失礼致しましたm(_ _)m pic.twitter.com/zByV1mvY29— 一寸の蟲 (@gobunotamasii) March 3, 2019
鰐淵晴子さんの家系図ですが
- 母親は、オーストリア・ウィーン出身でハプスブルク家の末裔のベルタさん
- 父親は、新潟県長岡市生まれのバイオリニストの鰐淵賢舟(けんしゅう)さん
になります。
そして、写真家・タッド若松さんとの間に、娘の鰐淵理沙さんがいてます。
娘さんの理沙さんは、2014年に結婚し、息子さんと娘さんが1人ずついてます。
さらに、鰐淵晴子さんのwikipediaによりますと
1959年の記事にて、オーストリアのウィーンに母方の74歳の祖母・アメリカのロサンゼルスに父方の84歳の祖父がいてると書かれてると紹介されています。
1959年の記事には、「オーストリアのウィーンには母方の祖母(七四歳)、アメリカのロサンゼルスには父方の祖父(八四歳)がいる」と記載されている。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B0%90%E6%B7%B5%E6%99%B4%E5%AD%90#cite_note-asahi1960-4
鰐淵晴子さんの妹は、朗子(あきこ)さんになります。
鰐淵晴子・朗子姉妹と三國一郎、TBSラジオ『オーナー』(昭和39~41年)の放送風景。昭和26年の開局以来使われているマイク(中央=RCA社製44BX)は昭和55年まで現役で使われていた。@retoro_mode pic.twitter.com/oBz3SlI5Q4
— 萬象アカネ@レトロ (@bansho_akane) September 21, 2020
1960年時点で、妹・朗子さんの年齢は13歳でした。
引用:https://blog.goo.ne.jp/hirochan1990/e/c176912a26ace8f942272ebc8680f14e
鰐淵晴子の若い頃(昔)の経歴や動画は?
ヴァイオリニストで女優の鰐淵晴子さんって方今も綺麗だけど若い頃まじでドールなんだが…しかも音楽一家でマミーはハプスブルク家の末裔とか何、どしたん、話きこか… pic.twitter.com/pPu8QL9wrx
— &ちゃん🧠IQ3 (@andchan_iq3) November 27, 2021
天才ヴァイオリン少女として注目された鰐淵晴子さん正統派美人な上に品があって父はバイオリニスト母は名門王家のドイツ系貴族の末裔っていうなんかすごい家族だった pic.twitter.com/TBLBLR09yl
— ヘレン (@helensumire) April 11, 2020
鰐淵晴子さんは、1945年4月22日に生まれます。
終戦4か月前に疎開先の茨城県内の防空壕の中で生まれたそうです。
3歳から半ばから父親の鰐淵賢舟さんにヴァイオリンを教わります。
6歳で、日比谷公会堂で父親とヴァイオリンを演奏し、同年に「NHKのど自慢大会」に出場し、その後は音楽会・雑誌モデルなどで活動されます。
1952年、7歳の時に映画内でヴァイオリンを弾かせてくれる事を条件に、「母子鶴」で岩尾文子さんの幼少期を演じ子役デビューし、女優として活動をされます。
1953年、8歳の時に全国演奏旅行をし、「天才ヴァイオリニスト」と呼ばれるようになります。
1955年、10歳の時に映画「ノンちゃん雲に乗る」で主演・田代信子役を務め、複数の映画会社が鰐淵晴子さん獲得しようとするも、父親が映画界入りを反対し、音楽に専念されます。
1959年、15歳の時に映画「乙女の祈り」で主演で映画復帰をし、松竹と専属契約を結び、1959年に映画「わかれ」に出演されます。
鰐淵晴子さんは、「原節子の再来」と言われ、1960年に「伊豆の踊子」「明日はいっぱいの果実」「あんみつ姫の武者修行」で映画で主演を務めました。
そして、1961年「狩銃」、1962年「晴子の応援団長」、1963年「丹下左膳」「ローマに咲いた恋」、1964年「二十一歳の父」の映画でヒロインを務めました。
さらに、鰐淵晴子さんはドイツ語と英語堪能だったので、映画「銀嶺の王者」で1956年冬季オリンピックのアルペンで三冠王のオーストリア人で主演のトニー・ザイラーさんの相手役を務めます。
鰐淵晴子さんは、「1960年代前半の松竹を代表するスター」と称される活躍をされています。
こちらは、15歳と17歳と18歳時の鰐淵陽子さんの動画になります。
17歳時の動画では、妹さんと母親も映っています。
ただ、日本映画産業全体が停滞しだした為、デビュー当時程作品に恵まれなくなり、1965年に松竹を退社されます。
その後、1967年 映画「花札渡世」、「眠狂四郎無頼控・魔性の肌」に出演されます。
『眠狂四郎無頼控 魔性の肌』の鰐淵晴子がかわいすぎて本当にどうしようかと。 pic.twitter.com/lNfUtMzja9
— 松井俊之 (@MatsuiTo) June 16, 2016
1968年に服部歊(はっとりのぼる)さんと結婚し、1969年に離婚をされています。
そして、アメリカに渡り、1970年にアメリカで出会った・タッド若松さんが撮影した写真集の「イッピー・ガール・イッピー」を発売します。
この写真集は中々大人っぽい内容で、当時は母親が厳しく映画やドラマでのキスシーンも許してもらえなかったので、母親とは何度も言い合いをされたそうです。
以上が、鰐淵晴子さんに関する記事ですね。