芸能

中井貴一の年収が凄い!姉の現在の画像や活動内容は?

今回は、実力派人気俳優の中井貴一さんの

年収やギャラがいくらなのか?

お姉さんの現在と若い頃の画像や
簡単な経歴やプロフィールや
結婚した旦那さんや子供さんに関する情報

父親と母親の画像や名前

などなど…年収と家族に迫って行きたいと思います。

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中井貴一の年収やギャラが凄い!

中井貴一さんの年収ですが…はっきりと公表はされていませんでしたが

ギャラの金額

  • CM1契約辺り:2018年 3800万、2019年 3500万(男性タレント22位)
  • TV1時間辺り:90万
  • 映画1本辺り:400万以上説が出てる
  • ドラマ1本の出演料:200万

と言った感じで結構高額なので

年収は5000万~1億ぐらいあるのでは?と予想しますが…実際は不明です・・・

中井貴一の姉・貴惠の現在の画像や活動内容は?

上の画像がお姉さん・貴惠さんの現在の姿になりますね!
非常に上品で綺麗なご婦人と言った感じですよね!

中井貴一さんのお姉さんに関する情報ですが

  • 芸名:中井貴惠(きえ) 芸名の名付け親は映画監督・木下惠介さん
  • 本名:中沢貴惠子(なかざわきえこ)
  • 年齢:1957年11月27日生まれの61歳
  • 身長:167cm
  • 血液型:O
  • 田園調布雙葉中学校・高校卒
  • 早稲田大学社会専修学部在学時の1977年、映画『女王蜂』のヒロイン・大道寺智子役にて女優デビュー
  • 女優デビュー後、大学は一部から二部の日本文学科に転部し卒業した
  • 1982年、映画『あゝ野麦峠 新緑篇』『制覇』で日本アカデミー賞助演女優賞ノミネート
  • 1987年に結婚し女優休業、夫の勤務地のアメリカ・ニューハンプシャー州に移住
    その後、日本に帰国し札幌→東京へ居住してる

と言った感じになりますね!

ちなみに、お姉さん・貴惠さんの若い頃ですが

やはり、かなり綺麗ですね~~

続いて現在の活動内容ですが

  • 1998年~「大人と子供の為の読む聞かせの会」と言う絵本朗読を行ってる
  • 2006年~「昔語り」と言う音と音楽のバージョンも追加
  • 幼稚園や小学校や小児病棟などで計1200回以上の公演を行ってる

と言った感じで絵本朗読の活動や

  • 「貴恵のニューイングランド」「父の贈り物」などエッセイスト
  • 「大きな木のおくりもの」「おおきなかぶ」「はらぺこかいじゅう」などの翻訳を行う文筆家
  • 2013年~映画「じんじん」にて女優復帰

と言った感じでマルチナ才能を活かされてます!

最後に、中井貴一さんとお姉さんのエピソードですが

  • 1990年代に中井貴一さんは伊達公子さんと交際し結婚間近だったが
    お姉さんと母親が結婚に反対し、結婚をあきらめた
  • 中井貴一さんは仕事ではお姉さんと共演したくないと言い姿勢らしく
    ドラマで共演した際も一度も共演シーンがなかったらしい

と言った感じみたいですね。

中井貴一の姉・貴惠の旦那や子供の名前などは?

上の画像は、貴惠さんの結婚式の時の画像との噂が出ています。
結婚式は、身内・親友のみでアメリカにて極秘で行われたみたいですね。

お姉さん・貴惠さんの家族についてですが

旦那

  • 名前:中沢直樹さん
  • 出身地:岩手県盛岡市
  • 職業:研究者
  • 「水摩擦強度の研究」などが評価され、アメリカ・ニューハンプシャー州の極地工学研究所に勤務してた

子供

  • 娘が2人いてる
  • 「娘から娘」へと言うエッセイにて育児について書いてある

と言った感じみたいですね~

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中井貴一の父親・母親の画像や職業などは?

上の画像が中井貴一さんの父親と母親になりますね!
まさに、美男美女と言った印象を受けますね~~

父親

  • 名前:佐田啓二さん
  • 1926年12月9日生まれ
  • 京都府出身
  • 早稲田大学在学時に、俳優・佐野周二さんの家に下宿したのが縁で芸能界デビュー
    1946年、松竹大船撮影所に入所→1947年、映画『不死鳥』に抜擢されスター俳優へ
  • 37歳の若さで天国に旅立たれてる

父親について中井貴一さんは

自分の実力なんて1くらいで、オヤジが遺してくれたものが、ほとんどを占めているんじゃないかと思います」と、しみじみ話していた。

と言った感じで、偉大な父親について語られています。

母親

  • 名前:益子さん
  • 佐田啓二さんが新人の頃の松竹撮影所のそばの食堂「月ヶ瀬」の看板娘だった
  • 87歳で天国に旅立たれてる

そんな中井貴一さんの母親ですが

幼い子ども2人を女手一つ育てて、大学まで通わせたそうです。
苦しい経済状況の中で、子どもに辛いところを見せず、2人を守ってきたのだと思います。

「本当に厳しい母でした。DVまではいかないけど、手の早い母だった。
170センチあったから手も長くて、姉も僕も食事の時も常に(叩かれないよう)臨戦態勢でした」と中井。
「父の分もという(育児への)意識が強かったのでしょう」と続けた。

と言った感じで、素晴らしいお母さんだったみたいですね!

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