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中野浩一の生涯獲得賞金額が凄い!伝説エピソードまとめ

今回は、競輪好きならその名前を知らない人はいない中野浩一さんですが

現役時代は数々の伝説を残されてる人になりますね!
そんな伝説的な選手なので、ヨーロッパでの人気がかなりのものだとか…

後、そんな伝説的な選手・中野浩一さんが生涯獲得した賞金額はいくらなのでしょうか?

と言った感じで、今回は中野浩一さんの伝説に迫って行きます!

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中野浩一の生涯獲得賞金額が凄い!

中野浩一さんは、1980年の25歳で、日本プロアスリートで初の獲得賞金1億円突破します。
ちなみに、この時の現役だった王貞治さん年俸が8000万です。

1988年通算賞金獲得額10億円突破します。
生涯獲得賞金額が10億突破してるのは歴代の現役・引退した選手を含め28人なのでかなり凄い金額ですよね!

1992年に引退し、生涯獲得賞金額は13億1916万2077円と言う凄い額!

ちなみに、日本競輪選手で生涯獲得賞金額1位神山雄一郎さんの28億2166万4509円です!
この方は、50歳を超えた現在でも現役をしてるレジェンド選手になりますね!

中野浩一は歴代最多6回の賞金王!

中野浩一さんは、賞金王を歴代最多の6回獲得してて

年度 獲得賞金額
1977 6613万9600円
1978 8238万5200円
1979 9218万6200円
1980 1億1141万600円
1981 1億768万5711円
1983 1億909万3600円

こちらが中野浩一さんが年間賞金王を獲得した時の賞金額になりますね!
これだけ凄い選手だから、生涯獲得賞金額が13億以上と言う破格の活躍が出来るのでしょうね~

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中野浩一の現役時代の伝説エピソードまとめ

高校時代は陸上、その後はゴルファーと元々競輪選手志望ではありませんでした
競輪選手の父・光仁さんの勧めで、わずか3カ月の練習で日本競輪学校に合格します。

競輪学校卒業後は、「35期の三羽烏」と呼ばれかなりの期待をされてて
デビュー戦を含め18戦無敗を記録する大活躍ぶりを見せます!

その後の活躍ぶりは

1978年に競輪祭にて初優勝を飾り、1981年に日本選手権競輪で優勝し史上2人目の3連覇を達成します。

1985年のKEIRINグランプリにて初代優勝者になります。
この頃の強さが驚異的で、捲りが「浩一ダッシュ」と呼ばれかなりの速さを誇りました。

1977年~1986年の世界自転車選手権スプリントにて10連覇達成します。
その際に

1986年アメリカ大会では、5月の練習中に肋骨が肺に刺さる大怪我を負ってしまい

完治せず8月の試合に、世界新記録を叩き出すなどの10連覇の偉業に観客は大歓声となりました。

ちなみに

この完治せず出場した裏側には、初優勝の1977年時に王貞治さんが本塁打世界記録を樹立
1978年の2連覇の時には王さんの800号本塁打達成と被ってしまい

自身と王さんのメディアの取りあげ方に悔しさを感じると同時に
巨人が9連覇なら自分は10連覇してやる!」と心に誓った。

ちなみに、これらの素晴らしい功績の数々により、2006年に競輪選手として初の紫綬褒章を獲得されています。
さらに、現役時代の本拠地・久留米競輪場では「中野カップレース」と言う記念レースが開催されています。

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中野浩一の現役時代の成績&タイトルは?

続いて、中野浩一さんの現役時代の成績やタイトルですが

  • 1976年、新人王
  • 1977~1986年、世界選手権・プロスプリント優勝
  • 1978、1980、1981、1983、1987年、競輪祭優勝
  • 1979~1980、1988年、オールスター競輪優勝
  • 1981年、日本選手権競輪優勝
  • 1985年、KEIRINグランプリ優勝
  • 1988~、1989年、全日本選抜競輪優勝

通算出走回数1236回中に1位を666回記録し、優勝は169回記録しています!

中野浩一のヨーロッパでの人気が伝説的!

自転車競技はヨーロッパではかなりのメジャー競技で
その為、中野浩一さんは現地ではかなり英雄になります!

そんな中野浩一さんのヨーロッパでの人気がどの様な物なのか?見て行きましょう~

 

ヨーロッパ現地の人達が

中野浩一さんと分かると感動のあまり固まる
本人曰く「ヨーロッパで現地の人と話してたんだけど、僕が中野浩一だと判ったらビックリしちゃってさ~

中野浩一さんが取材でフランスのツール・ド・フランスに行った時
余興の自転車レースでスタッフに負け、その事が地元新聞の一面に

ロードレーサーの市川雅敏選手がヨーロッパで練習してると
おまえはナカノの弟か?」と尋ねられる

日本人がメガネかけてを自転車に乗ってたり、日本人自体を見ると、現地の人が「ナカノ」と声かける

中野と言う留学生が「ナカノです」と自己紹介すると尊敬のまなざしで見られる

 

公共施設にて

エールフランス機に乗った時、搭乗時に赤じゅうたんをしかれたり
機長からサインを求められ、コックピットに招待される

帰国の航空チケットがなく困ってた時に
ホテルが、即座にチケットを手配してくれる

フランスの3つ星レストランはどこも予約最優先
シェフ自らサインを求めに来る

 

ヨーロッパの選手が

イタリヤの有名選手のギド・ボンデンピ選手は、当初ケイリン世界一を目指してたが
1981年のブルノ世界選手権の中野浩一さんの走りを見て
「ナカノには絶対勝てない」と言いケイリンへの参入を諦める

1997年にヤン・ウルリッヒ選手(ドイツ)がツール・ド・フランスでの優勝インタビューで
中野浩一さんの「僕の事、知ってる?」と言う質問に対し
あなたを知らない自転車競技の選手がこの世にいるんですか?」と返答。

ツール・ド・フランス5連覇の英雄のミゲル・インドゥライン選手(スペイン)が
インタビューするのが中野浩一さんだと知り、緊張しガチガチに

サッカーのデル・ピエロ選手が中野浩一さんと面会した際、感動のあまり涙ぐむ

ツール・ド・フランスの選手とスタッフの休憩所に中野浩一さんが入ると、全員が立ち上がる敬意を表す

以上が、世界のナカノの伝説エピソードになりますね!

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