芸能

鰐淵晴子はハーフで父親は?母親はハプスブルク家の末裔?

今回は、鰐淵晴子さんの

 

  • 父親でバイオリニストの鰐淵賢舟さんの経歴やエピソード
  • 母親でオーストリア人のベルタさんの凄すぎる家柄やエピソード

 

などなど…について書きました。

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鰐淵晴子はハーフで母親はハプスブルク家の末裔?

鰐淵晴子さんの母親は、ベルタさんになります。

母親のベルタさんは、ウィーン出身のオーストリア人の音楽家で、オーストラリアに住んでた時はチターと言う楽器を弾いてたそうです。

そして、母親のベルタさんは、ハプスブルグ家の末裔になります。

ハプスブルグ家は、スイスに起源をもつドイツ系(アルザス系)の貴族で、ヨーロッパ随一の名門王家で、マリー・アントワネットさんもハパスブルク家出身です。

ちなみに、チターは日本の琴に似た弦楽器になります。

母親のベルタさんは、ナチスドイツが台頭する中、ウィーンに凱旋したヒトラーと街頭で目が合い「これはまずい」と直感し、夫の鰐淵賢舟さんと一緒に日本に行く事を決めたそうです。

終戦4か月前の1945年4月に疎開先の茨城県内の防空壕の中で鰐淵晴子さんが生れました。

この時について、鰐淵晴子さんは

母は1人で私を生んだんです。赤ちゃんだったから覚えてないですけど、まぁ、なんとか(成長して)様になりました

引用:https://yorozoonews.jp/article/14402252

とコメントされています。

さらに、NHKラジオのドイツ語講座で歌を唄われたり、1959年のウィーン少年合唱団の二度目の来日を記念し製作された映画「いつか来た道」の通訳役で出演されています。

鰐淵晴子さんは、1955年に映画「ノンちゃん雲に乗る」に出演し、母親役を原節子さんが演じました。

その時に、原節子さんと母親のベルタさんが話が合い、家に遊びに来たそうです。

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鰐淵晴子はハーフで父親はバイオリニストで経歴は?

鰐淵晴子さんの父親は、バイオリニストの鰐淵賢舟(けんしゅう)さんになります。

本名は鰐淵仁四郎(にしろう)になります。

1910年に新潟県長岡市で生まれ、1986年に亡くなっています。

そして、父親・鰐淵賢舟さんの経歴ですが

12歳からバイオリンを習い始め、19歳でハイフェッツやクライスラーなどを聞いて感銘を受け、音楽家になろうと思ったそうです。

19歳の時にチェコスロバキアの首都プラーグの国立音楽学校に入学しました。

プラハ、アメリカに15年間留学し、1938年にプラハ音楽院を卒業します。

プラハでオタカル・シェフチクチクさんに師事します。

1935年に斎藤秀雄さん指揮の新交響楽団(現、NHK交響楽団)とラロさんのスペイン交響曲を共演し、1940年5月から1945年4月まで新交響楽団(現、NHK交響楽団)団員になります。

1936年に東京で高木東六さんのピアノにより第一回リサイタルを開催します。

1940年にジョセフ・ローゼンストックさん指揮の新交響楽団(現、NHK交響楽団)とブルッフの協奏曲1番を共演しました。

1944年に山田一雄さん指揮の日響とベートーベン協奏曲を共演しました。

さらに、弦楽四重奏団を主宰し演奏活動やクレモナ・バイオリン教室を主宰していました。

となります。

ちなみに、多摩川沿いに住んでた時に巨人の練習グランドが近くあり父親と鰐淵晴子さんが散歩してると、巨人に入団して間もない長嶋茂雄さんが「鰐淵賢舟さんですよね。僕はクラシック音楽が大好きで、お父様のバイオリンをよく聴くんですよと声を掛けられたそうです。

以上が、鰐淵晴子さんの母親・父親に関する記事ですね。

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