今回は、あばれヌンチャクの
- 解散理由
- 結成時のエピソード
- 解散後のエピソード
などなど…について書きました。
あばれヌンチャクの結成時のエピソードは?
2人は日本大学の芸術学部の同級生で大学で知り合います。竹内さんが音楽コースでやっくんが演技コースで、2人は映画サークルに所属されていました。
ちなみに、大学時代のやっくんは、いじられキャラだったそうです。
そして、元々竹内さんが歌手志望でやっくんが役者志望でした。
竹内さんは、東京に上京し歌手として音楽事務所に所属されて、音楽で凄い人達が一杯いる事を知り、音楽は半年で諦め、高校時代に好きだった人が演技をしてたので、色々な演劇を見に行くようになり、「劇団なら簡単そうだから、すぐに作れそうだな」と思い、大学4年時に劇団を作ったそうです。
そこに、やっくんが入って来た事で2人は仲良くなります。
当時からやっくんは、ドラマや映画に出てて、演技は非常に上手だったそうです。
その後、劇団でお笑いの芝居などの活動をされ、やっくんに「この劇団をずっと頑張るより、2人でお笑いをやらないか?」と言われ、2人でコンビを結成されます。
やっくんは、竹内さんの前に2人とお笑いコンビを組んでて、竹内さんが3人目の相方になります。竹内さんはやっくんが初めての相方でした。
ちなみに、竹内さんは元々お笑い好きではなく、やっくんに誘われたからやったと言う感じでした。
あばれヌンチャクの解散理由はコンビ不仲?
あばれヌンチャクは石井光三オフィスに所属し活動をされていました。これは当時東京中にお笑いライブを見に行ってたやっくんが「有名であり、若手のライバルが少ない事務所だから入ろう」と言われ、所属を決めたそうです。
結成してから仕事は順調でしたが、ネタの事でコンビでよく喧嘩してて、コンビ仲は悪かったそうです。
コンビ不仲の原因は、劇団時代の竹内さんがリーダーでやっくんが劇団員と言う竹内さんが強かった上下関係をコンビでも持って行ってた事が原因だったとか。
さらに、結成当初にやっくんに「コンビ名もタケ(竹内さん)が決めていい。ネタの決定権もタケでいい。リーダーもタケでいい。それでもいいからコンビを組んでくれ」と言われ、結成当初から竹内さんが上の関係でした。
ちなみに、あばれヌンチャクは、コンビになってからも年に数回は飲みに行ってたそうです。
あばれヌンチャクは、攻めたネタが多かったそうです。
解散時のエピソードは?
そして、あばれヌンチャクの解散が決まったのは、仕事終わりにあばれヌンチャクでワタミに飲みに行ったそうです。当時、1年後まで仕事が埋まってるなど活動は順調でしたが、当時2人とも28歳と年齢の部分やお笑いの才能の部分で焦ってたそうです。
そして、「もし今芸人じゃなかったら、何やりたい?いっせーので言おうぜ。」と言う話になり、竹内さんは当時声優の仕事が順調だったので「声優」と言って、やっくんが「ピン芸人で可能性を試してみたい」と言ったそうです。
そして、その時に「だったら解散しようか」となり、1年後まで仕事は決まってたので、「1年間お金を貯めてから解散しよう」という話になり、マネジャーに「1年後に解散します」と電話をされたそうです。
しかし、1週間後にマネージャーに「スケジュール全部ばらして置いたから。一本だけ決まっててばらせなかった『BS笑点』だけ行ってこい」と言われて、「お前らあんまりお笑いを舐めるな。1年後に辞めると決まってるお前らを誰が応援するんだ」と言われ、「BS笑点」を最後に解散が決まったそうです。
ちなみに、当時竹内さんの声優の仕事であばれヌンチャクのスケジュールを崩すことが結構あり、やっくんは「あばれと声優、どっちが大事なんじゃ」と結構怒ってたそうです。
あばれヌンチャクの解散後のエピソードまとめ 仲良しになった?
解散後は、竹内さんは声優で仕事があり、生活できるだけの収入を得ていました。
そして、解散から1年から1年半後にやっくんがブレークをしだし、当時竹内さんは一時、僻んでたそうですが、やっくんが突き抜けて売れ出した辺り(解散から3年ほど)から何も思わなくなったそうです。
ちなみに、あばれヌンチャクを解散してからは、一緒に飲みに行ったり、遊びに行ったりするなど…2人の仲は良くなってたそうですよ。
竹内さんは、芸人時代から辞めて1年ほどお笑いの見る事はなかったそうですが、今は単純にお笑いを見て楽しんでるそうです。